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略史
紀元前~ | マヤ先住民による文明が栄える |
14C | マヤ文明衰退する |
1502 | コロンブス来航。 |
1798 | イギリス軍、スペインを破る。 |
1862 | イギリスが『英領ホンジュラス』と宣言する。 |
1964 | 自治権を獲得 |
1973 | ベリーズと改称 |
1975~77 | 領有権を主張するグアテマラと国境紛争 |
1981 | 独立、英連邦に加盟する |
1991 | グアテマラと国境を確定し国交を樹立 | |
マヤ史
先史時代
紀元前2000~250年
紀元前1000年頃オルメカ(Olmec)人の文明がメキシコ湾岸域で栄える。ベリーズ北部のLamanaiが造られた。
B.C.800~B.C.300に文字と世界最初の暦と文章が作られた。
祭事場だった北ベリーズのCuelloでは多くの人が生贄として犠牲になった。
その後A.D.300頃まで各地に寺院やピラミッド造られCerrosの様な都市があらわれる。
古代
250~600年
A.D.300年頃起こったマヤ文明が中米の各地で栄え、王朝が都市国家を統治する。
900年までの間に芸術、建築、天文学等が非常に発達した。この時代に偉大な建造物が造られ、完璧な数学的暦を表わしたヒエログラムが書き残された。
ベリーズ西部のCaracolが有力都市Tikalを征服しマヤの中心的立場を得る。
600年~900年
初めて中央アメリカで鉄を使う。マヤ文化絶頂期に達する。マヤ人口は南部高地からPete, Belize Yukatan半島の北部低地に移動する。
ベリーズ西部のXunantunichは地震の後に放棄される。Lubaantunがベリーズ南部に造られる。
900年~1200年
900年を境に芸術の時代から軍事的社会へと移行した。
人口の減少、大規模な移住、建設の終了がマヤ文明の崩壊を示す。
北部のAltun Ha放棄される。
植民地時代
1505年コロンブスがホンジュラスの海岸まで来たが、現在のベリーズには至らなかった。
スペイン人ユカタン半島征服に着手しChichen Itza陥落する。
1519年にユカタン半島を占領したコステロ以下のスペイン軍はマヤ族の抵抗にあう。この戦いは1935年Chan Santa cruzのマヤインディアンがついにメキシコと講和を結ぶまで実質400年も続いた。
1530~1872年
イギリスの木材業者ベリーズにやってくる。
ベリーズ西部のTipu、北部のLamanaiでマヤの反乱が起き、スペインを駆逐する1700年まで60年に及ぶ。
ユカタンのマヤが1800年半ばのカースト戦争の間に反乱。多くのメツィオ、ベリーズへ逃げてくる。
1872年マヤ反乱軍の最後の戦い。マヤの将軍Canulオレンジウォークの近くで戦死。
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